ジンたちの美形比べ 採集地:千と一夜の書
「アラビアン・ナイト "カマル・ウッ・ザマーンとブドゥール姫の物語"」より
 千と一夜の書シリーズ。

 原版「カマル・ウッ・ザマーンとブドゥール姫の物語」は現存している千と一夜の書で最古とされるガラン写本の最後に冒頭の一部が収められている由緒正しい(?)物語です。全体としては長編ストーリーで、大きく三部に分かれています。Ringlet版はカマル王子とブドゥール王女が初めて出会った第一部を大幅に省略、改編したものになります。

 本編から要素をピックアップするなら、広範囲に渡る地名と悪魔の存在が挙げられます。

 まず地名ですが、原版ではブドゥール姫は「シナの国」(中国)の王女と書かれています。カマル王子はペルシャか中東の王子なので、かなりの遠距離恋愛と言えます。千と一夜の書に限らず中東から見た「オリエント(東洋、東方)」はインドあるいは中国であり、今回の話も中国の王女を神秘的存在として登場させていると言えます。

 次に悪魔(シャイターン、またはイブリース)です。ジンとの関係や相違の仔細は省略しますが、大枠で言えば悪魔はジンの一種と見るのが一般的なようです。クルアーンによれば悪魔はアーダム(アダム)をそそのかして追放されますが、それでもアッラーフは「人間と悪魔は敵対関係になるだろうが、両方に(私の)恵みが有るだろう」と言ったとされています。イスラームでは悪魔は反逆者ではなく反抗期の子供のような扱いでアッラーフの統制下にあり、全体的にキリスト教より穏やかな性格をしています。

 本編には三人の悪魔が登場します。主役はマイムーナ(Maymunah ※資料の注では「幸せ」となっていますが、「祝福された」という意味が近いようです)という名前の女悪魔で、父親は悪魔の王のひとりと書かれています。本人もかなり高位の悪魔で推し対決相手のイフリートからは「お姫さま」と呼ばれています。省略した原版では「天使たちの話を盗み聞くため天に登っていこうとした」ところ、カマルを偶然発見しました。また、「たまたまこの鬼女はイスラムの教えに帰依したジンのひとりで」、「アッラーにかけて、あたしはこの人に指一本でも触れないし、誰にもこの人に危害を加えたりはさせない」という記述もあり、カマルに対してやけに淑女的だった理由が書かれています。余談ですが、マイムーナはイスラームの開祖ムハンマドの妻のひとりの名前でもあります。
 ふたり目、ブドゥール王女を推す悪魔ダナハシュはイフリートと書かれており、こちらも決して格が低いわけではありませんが、今回は相手が悪かったようです。マイムーナに対する恐怖心は本編にもよく書かれていますが、ブドゥール王女を毎晩眺めていただけというプラトニックストーカーぶりは似ているように思えます。また、千と一夜の書ではこのダナハシュという名前の悪魔がたびたび登場します。
 三人目はマイムーナが呼び出す腹心の悪魔で、マリードとなっています。イスラームの一般的な設定によればマリード>イフリートですが、ふたり目のイフリートがそれほど注意を払っている描写はありません。ただ、そんな彼をたやすく使役出来るマイムーナは別格と言えます。

 Ringlet版では省略した主なシーンとしては、カマルとブドゥールのそれぞれの異性嫌い、カマルとブドゥールの容姿を褒め称える詩、良い子には読ませられない性的描写が挙げられます。

 ひとつめの異性嫌い、異性軽視は驚くほどのページを割いて入念に描かれています。恋愛ものが少なくないFairytaleにおいてこれだけ異性軽視を書き込んだ点には作者の強い意志を感じますが、どのような意図があったのかを推し量るのは難しく思います。

 ふたつめは中東の物語ではよく登場する詩の形式です。アラビア語やペルシャ語の原版では押韻や音読での美しさも考慮されているようですが、それだけに翻訳は難しく、訳者も骨を折ったと回想しています。詩の形式に限らず、この話ではふたりの悪魔がそれぞれの推しをかなりのページを割いて熱っぽく語り、また他方を貶めています。興味のある方はぜひ原版をあたることを勧めます。

 三つめ、これは中東に限らずFairytaleではしばしば見られるものですが、千と一夜の書の場合は原版が文語なだけに語りを文書化したものとは一線を画す描写になっています。終盤、ブドゥール王女がカマル王子を見つめるシーンから抜粋します。

 それから、姫は若君の肌着の襟元をひらいて、身をその上にかがめて、口づけしました。そして、手をのべて、若君が身につけたもので、何か取るものはないかと捜して見ましたが、あいにくなんにも見つかりませんでした。それで片手を胸まで下げ、さらになめらかな肌にそっておなかのほうへと滑らせていきました。やがて手はほぞのところに下がり、ついに男根の手におちました。姫の胸は戦慄し、心は動顚しました。そうしてその身に情火が燃え上がりましたが、元来、女人の欲情は世の男どもの色情よりも強いものでございます。姫は、それでわれながら、恥ずかしくなり、若君自身の印章指輪のほうを、その指から抜き取って、自分の指輪のかわりに指にはめました。それから、若君の口に口づけし、両手にも口づけし、身体のうち、どこといってあますところのないまでに口づけを浴びせかけました。(後略)

 民俗、歴史的にはキーアイテムとして登場する印章指輪が目を引きます。また、原版のカマル・ウッ・ザマーンは「時代の月」、ブドゥールは「満月」という意味で、どちらも月に関連する名前を冠しているところは作者のこだわりを感じます。

 本来の話ではふたりが再会する第二部、またそれ以後の話の第三部がありますが、いずれも省略しました。

イスラームでは悪魔とジンの境界が曖昧なこともあるせいか、キリスト教ほど悪一辺倒な悪魔はあまり目にしません。
今回のマイムーナもそんな典型的イスラーム悪魔のひとりですが、本気にさせると怖いあたりは威厳も感じます。
一方、被害者(?)である王子と王女は第二部でちゃんと再会出来ますし、その後日談まで収録されていますので、先が気になった方は原版を読んでみてください。(TINA)

エルセちゃんを王子&王女様にするか、悪魔にするか…というところの相談からはじまりましたが、
元のキャラクターからギャップというものが好きなので、悪魔の案ですすめさせていただきました。
ダークな雰囲気も、独特の魅力があって良いと思います!(宣教師ゴンドルフ)

「ジンたちの美形比べ」の話の挿絵を手掛けさせていただきました。
男性とか1万年と2千年ぶりに描いたよ。。。
男性は描けないわけじゃないんですが、趣味絵で男性描くぐらいなら女の子描きたいので、自分の男性絵はほぼ世に出回ってないですねぇ。
今回は二人の魔神が推しを推す話でかなり面白かったですね。というか、身が縮こまるぐらい怖い姫様の推しよりも、自分の推しを推すあたり意外と胆力あるんやなダナハシュ。(悠城さん)