| 神に化けた娘 | 採集地:インド |
| 「世界の民話8 中近東 "ヴィシュヌに化けた織工"」より 「パンチャタントラより」 |
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最初に触れた資料「世界の民話」のあとがきによれば、出典は「サンスクリットで書かれたジャイナ教の文書」とありますが、具体的な書名は載っていません。(※1)しかし、この話はパンチャタントラの第一巻第五話に収録されていますので、大元はここだと断定して問題ないでしょう。 原版ではヴィシュヌに化けた織工の男性が王女を娶る話ですが、Ringlet版では王子に惚れた女性が神に化けたという設定に変更して性別を逆転させています。(主人公が女性なので、化けたのは男神であるヴィシュヌではなく妻のラクシュミーを想定してます) また、原版では下記のようなインドらしい性的描写がありますが、よい子向けのRinglet版では削除しました。 王女の唇に傷がついているのを衛兵が気づき(男と寝たと解って)、厳重に警護しているにもかかわらず不思議なことだと王様と王妃に注進した。王妃が問いただすと、王女の唇に傷があるばかりか、身体の至る所にも引っかき傷があった。 ※インドの性愛書によると、引っかき傷は愛のしるしとして重要な意味を持つ ストーリーは最後を巻き気味にした他はほぼ変わりません。詳しくはパンチャタントラの解説に譲りますが、この話はヴィシュヌ信徒が書いた可能性を考えると、「もし、ここで自分に化けた織工が殺されてしまえば、自分たちを奉る人間が居なくなってしまうから」という理由で力を貸してくれるヴィシュヌはなんとも人間味に溢れた面白い存在であり、現代でもその人気を維持しているのも納得できます。 Ringlet版では削除しましたが、インドの物語らしい語り口もいくつか載っています。 例えばインドの神は様々な別名を持っていて、語り手はなるべく別の呼び名を使おうとする節があります。この話でもヴィシュヌは「ヴァースデーヴァ」「ナーラーヤナ」「ヴァイクンタ(※)」の別名で呼ばれています。 また、インドでは恋愛に落ちることを愛の神カーマの矢になぞらえるのが定番ですが、この話でもそう記述されていますし、王子との恋愛(性愛)ではその道の書として名高いカーマ・スートラの著者ヴァーツヤーヤナの名も登場します。 パンチャタントラ(五巻の書) タントラという言葉は多義的かつ難解な言葉なのですが、パンチャタントラの場合は単純に「書物」のような意味で良いようです。パンチャは数字の「5」を表す言葉なので「五巻の書」とか「五つの書」と言った意味になり、実際に5冊の本として伝わっています。詳しい成立年代は不明ですが、タントラーキヤーイカ(タントラ・アーキヤーイカ(教訓譚の本))が2世紀頃で、それより前ということになります。1-2世紀頃でしょうか。 内容としてはインド版のイソップ物語といったところで、前書きにはヴィシュヌシャルマンというバラモンがアマラシャクティ王の三人の王子の教育書として記したという前文があり、これを根拠としてヴィシュヌ信徒が書いた可能性があると言われています。(実際に本話でもヴィシュヌが活躍しています) ヒトーパデーシャ(「為になる教え」または「幸せをもたらす教え」) パンチャタントラを再編集したとして知られる本で、著者はナーラーヤナ(800-900頃)、ベンガル地方の王、ダヴァラチャンドラの庇護を受けて出版したとされています。ネパール系(南インド系)伝本パンチャタントラを底本とし、カーマンダキーヤ・ニーティサーラを足して完成させたようです。底本としたネパール系伝本ですでに脱落していたのか、あるいはナーラーヤナが削ったのかは不明ですが、ほぼパンチャタントラをなぞった本作にはこの話は収録されていません。もし作者が意図的に削除したとすれば、この話はよほど作者的によろしくなかったというわけで、それはそれで面白いのではないかと思います。 ※1.おそらく小本かプールナバドラ作の広本(パンチャーキヤーナカ)だと思われる。 ※2.ヴァイクンタは通常はインドラの別名とされるが、この話ではヴィシュヌの別名になっている。 |
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インドにおけるバラモンおよびヒンドゥーの神は、もちろん神の威光を示すこともあるのですが、わりと気軽に人間に接触してくるような気がします。この話における本物の神(原板ではヴィシュヌ)も「このままだと俺のメンツが潰れてしまうから」という理由で手を貸してくれるのは面白いですね。(TINA) 今回挿絵を手掛けさせていただきました、悠城です。 恋は盲目といいますが、ほんまそうよね(2ヶ月ぶり2度目)。 兄の加工技術や妹の演技力高過ぎて笑う。この兄貴、国お抱えの技術者とかにした方がいい。(悠城) |
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