イスラーム編まえがき まえがき
「イスラム帝国夜話 上・下」より
「ヨーロッパとイスラーム世界 (世界史リブレット)」より
「図説 科学で読むイスラム文化」より
「千夜一夜物語と中東文化」より
■イスラーム地域の定義と広がり

 「アラブ世界」「中近東」「イスラーム世界」等の言葉で語られるエリアのことですが、その範囲はまちまち、どの言葉も繊細なニュアンスを含んでいて扱いにくい地域でもあります。本作ではイスラーム教を国教とした王朝の支配下にあった地域を「イスラーム圏」と大枠で定義し、サハラ以北アフリカ大陸、トルコを北限とする中東、インド方面を含めた南アジアまでをこのエリアに含めました。(現代のインドはパキスタン、バングラデシュを引き合いに出すまでもなく非イスラーム国家ですが、本Fairytaleでは東アジアを取り扱う予定がないためここに入れました。)

 イスラームが勃興してから、わずか数百年でその勢力圏が急拡大したことは驚くべき事実です。アンダルス(現在のスペイン)が長らくイスラームの影響下にあったことは有名ですが、それよりずっと以前、8世紀にイスラーム勢力のウマイヤ朝がフランク王国(現在のフランス)の南半分まで侵攻したことはあまり知られていません。732年、フランス中西部ポワティエの戦いでカール・マルテル(カール大帝=シャルルマーニュの祖父)率いるフランク王国軍がウマイヤ朝軍を破り、ヨーロッパのイスラーム化は防がれました。一方のイスラーム側から見ると、これはほとんど最初で最後の中央ヨーロッパ侵攻でした。この戦いは後々の歴史を左右するものだったと見る向きもあり、もしウマイヤ朝軍が勝利していればヨーロッパのかなりの部分がイスラーム化されていた可能性は捨てきれません。そうなっていたら、ヨーロッパの中世、さらに現代の世界は全く違ったものになっていたでしょう。

 いずれにせよイスラームのヨーロッパ進出という野望は挫かれたのですが、東西には順調にその版図を広げていきました。アフリカ大陸ではサハラ以北と東海岸をイスラーム圏に収め、さらに内陸部にも信仰を広めていきました。アフリカ編でも紹介しましたが、中世アフリカの王のひとりマンサ・ムーサはムスリムであり、ハッジ(メッカ巡礼)に際して莫大な黄金をばら撒いたことで有名です。

■古代、イスラエル、イラン、インド

・古代文明

 このエリアにはエジプト、メソポタミア、インダスという特記すべき古代文明が存在します。さらに遡れば、現在もっとも古い文明とされるシュメールがあり、非常に乱暴な言い方をすれば、この地域のストーリーはなんらかの形でこれら古代文明の影響を受けているはずです。(インダスについては不明な点が多く、後世にどの程度影響を与えたかは難しいところですが)

・イスラエル

 現代の政治的問題は置いておくとして、ユダヤ教と旧約聖書が神話と民話の世界にも多大な影響を与えていることは間違いありません。さらにユダヤ教を基礎としたキリスト教も、やはりこの地から生まれました。本作ではユダヤ教の話は省略しましたが、これについては青土社から「イスラエルの民話」という本が発行されていて、かなりの数を読むことが出来ます。

・イラン(ペルシャ)

 古代から中世を語る上でイラン(ペルシャ)の影響力を無視することは出来ません。言い換えればゾロアスター教(拝火教)の影響でもあり、ハカーマニシュ朝(アケメネス朝)〜サーサーン朝を経てイスラーム化した後も前王朝の文化を引き継ぎ、独自性の高いイスラーム文化を築きました。イスラームがペルシャ文化に新たな風を吹き込んだとも言えますし、ペルシャ文化がイスラームを磨き上げたとも言えます。
 人種、言語的に言ってもアラブ人とペルシャ人は明確に違った民族で、中世の文献ではペルシャ語とアラビア語の間で起きる通訳、翻訳の問題がしばしば語られています。

・インド

 インドと言えばヒンドゥー教というパワフルでカオティックな、別の言い方をすれば情熱的で懐の深い宗教を第一に挙げることが出来ます。多神教で分派も多いこの宗教は多くの神話・民話を生み出すパワーにも溢れていました。いくつかの民話はインド起源とされ、西方に伝わってペルシャ、アラブの物語に組み込まれました。
 また、中世イスラーム圏やヨーロッパでは近世に入っても「驚くべきもの」「得体は知れないが素晴らしい場所」の代名詞として「インド」という言葉が使われたことからも、インドが持つ不思議な魅力が見て取れます。
 なおインドは仏教発祥の地でもありますが、中世には著しく衰退していたようです。

■イスラームの中世(歴史編)

 Fairytaleの想定年代である1300年前後のイスラーム圏がどんな世界だったのかと言えば、成熟期を経た停滞期とも言うべき、やや澱んだ世界だったと考えられます。

 最初に軽く歴史に触れておくと、7世紀初頭に興ったイスラームがすべての始まりでした。勢いを得たイスラームは政治と結びつき、瞬く間にその勢力を広げていきます。
 王朝は移り変わっていきますが、アラビア半島を中心として西はサハラ以北アフリカからジブラルタルを渡りアンダルス(スペイン)まで、東は現在のイランからアフガニスタン、パキスタンの手前までを影響下に収めました。

 こうして勢力を広げたイスラームは、必然的にキリスト教圏と接触、対立することになります。もっとも如実な形となったのが有名な十字軍で、第一回遠征は1096年に始まります。以後、十字軍は何度か結成され、13世紀末まで断続的に続きました。
 十字軍との戦いは勝ったり負けたりでしたが、最終的な結果として、イスラーム圏に食い込んだキリスト教国の領土は大きなものではありませんでした。一方、西のアンダルスではレコンキスタという明確な失地回復運動によるキリスト教勢力の攻勢で、イスラームの領土は徐々に削られていくことになります。1300年当時、イスラームの支配圏はわずかにグラナダ周辺を残すのみとなっていましたが、キリスト教徒がこれを完全に回復するのは1492年のことです。
 イスラームと接触した十字軍がヨーロッパにもたらした影響については盛んに論じられている反面、十字軍がイスラームに与えた影響というものはあまり語られることはありませんでした。今後の研究課題と言えますが、攻撃(遠征)側の十字軍と違って防御(地元)側のイスラーム勢力には得るものが少なかったことは想像できます。

 中世イスラーム圏にとって最大の危機は東方からやってきました。13世紀半ば、モンゴル帝国軍の進撃がとうとうアラビア半島に到達し、1258年にバグダードが陥落、アッバース朝が滅びました。
 この包囲戦で長らくイスラームの中心都市として繁栄したバグダードは灰燼に帰しました。この破壊は徹底したものだったようで、当時百万を超えていたとされるバグダード市民数十万(二十万〜二百万と議論があります。二百万は明らかに多すぎと思いますが、当時の資料による殺戮の凄まじさを見ると、五十万超の犠牲者が出ていても驚くに値しません)が殺害され、高名なバグダード図書館(知恵の館)を含む大半の建物が破壊されました。この後、イスラーム圏の中心はエジプトのカイロに移ることになります。

 モンゴル軍との戦いを経た1300年頃、中心であるアラビア半島を治めていたのはマムルーク朝でした。マムルーク朝はモンゴル帝国の西進を押し留めたものの、イスラームが長い間持ってい膨張的エネルギーはもはや失われていて、これ以降のイスラームは内向き志向を強めていくことになります。

■イスラームの中世(文化編)

 イスラームという宗教は商業通商の拡大と学問を奨励する宗教でした。知識の積極的獲得はクルアーンにも記されており、ムスリムたちは中世初期のヨーロッパでは失われていた古代ギリシャ・ローマ時代の文献をアラビア語に翻訳し、さらに研究を進めていきました。また、ローマの公衆浴場の伝統を引き継いだのも彼らムスリムでした。中世後期以降、彼らムスリムが保存し、研究を重ねた知識がヨーロッパに渡り、やがてルネサンスという形に結実するのは歴史の不思議と言えます。

 ともかく中世のイスラーム、特に中期までは、彼らはギリシャ・ローマの後継者としてヨーロッパとは比較にならない文化レベルを誇っていました。これは高度な医学、数学、天文学等の道具類や文献が十分証明していますし、都や宮殿に飾られていたという自動機械の書は現代の私たちが見ても驚くべきものです。

 もう一点、中世イスラームは「香り」を殊の外重要視する文化だったようです。王族や貴族の宴会や部屋では、必ずなんらかの香料が用意されています。芳香を放つ花びら、白檀、没薬等の植物由来香料はもちろん、竜涎香に代表される動物由来のものもよく使われました。また、物珍しい香料(とその商売)にかける情熱は当時の手記によく記されています。

 そんなイスラーム圏の暮らしはどんなものだったのでしょうか。
 都市部、農村部、砂漠等々、環境による影響が大きかったのはどこの世界でも同じですが、主に地政学的な理由により、中世イスラームはヨーロッパが得られなかった幾つかの恩恵を早い段階で享受していました。

 ・紙

 イスラーム圏はヨーロッパと比べて識字率が高かったと想像されますが、これは中国で発明された紙が比較的早くに伝わったことが大きいと考えられます。羊皮紙と比べて軽く安価に大量生産出来る紙のおかげで、イスラーム世界では学問と法律が整備、発展しました。(法律に関しては初期イスラームを担ったアラブの諸部族が契約社会だったことも一助となった可能性があります)

 ・飲食物

 食物の観点から見ても、イスラーム圏では棗椰子を代表とした甘味、インドから持たされる豊富なスパイスがありました。それに、なんといっても東方から伝わった砂糖の生産が食生活を豊かなものにしていたと言えます。氷室を利用した氷菓子もあり、同年代の食事を比べてみると、イスラームの食事はヨーロッパよりかなり美味しそうに見えます。
 上記の紙と砂糖のふたつはいずれも東方からもたらされましたが、諸処の事情により、長い間イスラーム圏で停滞し、なかなかヨーロッパに波及しなかった重要産物です。

 ・公衆衛生

 入浴の習慣はローマでは盛んだったものの、中世初期ヨーロッパでは廃れてしまいました。一方、ローマの入浴法を受け継いだイスラーム圏ではハンマームと呼ばれる公衆浴場が発展しました。また、本格的な病院の先駆けが生まれたのもこの地域です。

 ・その他

 イスラーム圏はその地理的な立ち位置からも、当時の世界の中心的な存在だったと言えます。西のアフリカ大陸からは金、奴隷、各種香料が供給され、東はインド、マレー半島を経由して中国とも貿易で結ばれていました。これらは紅海(アラビア海)を玄関口とした海上交易ネットワークの存在が大きく、ヨーロッパの大航海時代を先取りするような形だったと言えます。

 こうした先進的な多くの事例を挙げることができる一方で、現代の私たちが抱くイメージとは裏腹に、当時は存在しなかった習慣もあります。

 ・煙草類

 現代では中東方面の代表的なイメージとして想起される水タバコ(シーシャ)ですが、原料である煙草は新大陸原産で、中世イスラームにはありませんでした。
 当時入手できた嗜好品としてはアフリカで取れるコーラナッツの実やインド方面でよく利用されたキンマ(とビンロウジ)が挙げられますが、いずれも一般的だったとは言えません。おそらく、嗜好品としてはアルコールがもっとも手軽だったことでしょう。

 ・コーヒー

 イスラーム圏はコーヒーの原産地エチオピアとは古くから交流がある地域であり、早くから飲まれていたのではないかと想像されていますが、具体的な証拠はありません。
 初期にはイスラームの修行者たちがコーヒーの覚醒作用を利用していたとされていますが、少なくとも1300年当時、大衆はコーヒーの存在を知らなかったはずです。

 ・アルコール

 イスラームでは公式には禁止されていて、それを厳格に守る人々は初期から一定数存在していました。しかし、多くの人々にとっては酒の魅力が上回ったらしく、千一夜物語ではカリフも庶民もよく飲酒しています。禁酒の圧力はイスラームが内向き志向を強めていく近世以降に強まっていくようです。

 最後に、現代の私たちはイスラームというと排他的で危険なイメージを抱く人が多いかと思いますが、中世イスラームの空気はかなり異なっていたことを指摘しておかなければなりません。
 当時のムスリムは他宗教にかなり寛容で、中世イスラーム圏には彼らムスリムを中心としながらキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教やその分派などの様々な宗教の信者たちが非常にうまく折り合い、隣り合って暮らすような社会を形成していました。

■インドの中世

※インドの非イスラーム圏(東側および南側)のヒンドゥー文化圏についてはインドの話の際に別途追加します。

■千と一夜の書(千一夜物語)

 イスラームを代表する一大物語といえば「キターブ・アルフ・ライラ・ワ・ライラ」、直訳すれば「千と一夜の書」、いわゆる「千夜一夜物語」です。多くの学者によって現代でも精力的な研究が行われている本書は、おおまかに言って、まずサーサーン朝ペルシア時代に「百物語」のような底本があり、そこにイスラームとインドの物語が追加され、少なくとも14世紀前後まで加筆、編纂が続けられたと考えられています。これは物語に登場する年代測定の鍵となる単語(煙草、梅毒など)から推定されたものですが、十分な説得力があると感じます。

 実際に9.10世紀の文献には千一夜物語の中に登場する幾つかのモチーフ(巨大な鳥やジン、燃える谷、海洋航海のスリルとロマンスなど)が書き記されており、半ば事実として広く知られていたことが伺えます。

 物語の構成要素に目を向けてみると、千と一夜の書は物語の登場人物がストーリーの中でさらに別の物語を語る「枠物語」と呼ばれる形式を取っています。これは「カンタベリー物語」や「デカメロン(十日物語)」に代表されるように中世後期のヨーロッパでも流行した形式ですが、もともとはインドやペルシアあたりでよく用いられた手法だったようです。

 また、この書が東方イスラーム圏(=マシュリク)を中心に広がった一方で、西方(=マグリブ。アフリカのサハラ以北、およびアンダルス)には「百一夜物語」と呼ばれる別の書が存在します。千一夜物語とかなりの共通項があり、ある時点で枝分かれした後にそれぞれ独自に編纂を重ねたと推測されています。日本語全訳(「百一夜物語 もうひとつのアラビアンナイト」2011年/河出書房新社)を読んでみたところ、千一夜物語と比べてストーリー展開や落ちが大変に雑であり、あまり引き込まれる要素はありませんでした。また、この書が西方で編纂されたと言う割には西方の話が皆無で、千一夜物語に載っているアンダルスの話も載っていません。研究者の方々はこちらの本にも一定の注意を向ける必要があると思いますが、私たちは千と一夜の書だけで十分だと言えます。

■Fairytaleに反映されたイスラームの特徴

 ヨーロッパ編ではキリスト教に関する部分を極力カットしましたが、イスラームは我が国ではあまり馴染みがない宗教であり、なおかつ物語と一体化していて不可分なところが多いため、具体的な聖人名やクルアーンの章句(イスラームではこれをそのままセリフとして引用することが多い)はカットしつつ物語の流れを不明瞭にしないように心がけました。

 物語を読むにあたって頭に入れておくべきイスラームの特色を挙げるとすれば、なんといっても宿命論であることです。これは神(アッラーフ)がすべての運命を決めていて、自分ではどうにもならない、自分の身に起こることは良いことであれ悪いことであれ、すべて神の思し召しという考え方です。
 例えば病気になったり貧乏になったりすることは運命(=神の思し召し)であり、そうした苦境に陥った際の解決策はただ神に慈悲を乞うことになります。また、なにかの幸運に恵まれた時や苦難を脱した場合も、それは自分の力ではなくすべて神の恩寵によるとされます。