| 幸運のバラカ | 採集地:イラン周辺 |
| 「インドの驚異譚1 "バラカと呼ばれる魚を買ったカゴ作り職人"」より 「カーブースの書 "容赦と処罰について"」より |
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Ringlet版はふたつの物語を結びつけたもので、ひとつめは10世紀のイラン系船乗りたちが海洋航海で見聞きした様々な話のうちのひとつ「幸運のバラカ」、もうひとつはカーブースの書「処罰と寛容について」に記されている逸話です。 ひとつめのバラカとは「(神からの)恩寵」「祝福」「幸運」や「特別に授けられた能力」を意味します。これが別の地域では魚の名前だったことから思わぬバラカ(幸運)を手に入れたという短いストーリーで、ある地域でAと呼ばれているものが別の地域ではまったく別の意味、モノを指すことから生じた誤解や物語という意味ではままある話ではないでしょうか。 すでに10世紀には真珠はある種の二枚貝の中で生まれることが知られていましたが、金や宝石と比べても偶然性に左右されるため、形の良いものや大きいものはルビーやサファイアなどより価値が高かったようです。当時はカッティング技術が未熟でダイヤモンドのブリリアントカットのようなものはできなかったため、ルビー、サファイア、エメラルドといった色の美しい宝石が好まれていたようですが、シンプルな白の真珠は特別の魅力があったのでしょう。資料では特にインドで好まれたとあります。 ふたつめの原版には「ムアーウィヤの治世に」とあり、ウマイヤ朝時代の逸話として紹介されています。話術で死刑を回避する話は世界中にあるでしょうが、パッと思いつくのものは漢の時代の「跖狗吠尭」でしょうか。いずれにしろ、処刑される側に立てばうまく行かずとも殺されることに変わりはないので、最後の賭けに出る価値はあるでしょう。 出典である「カーブースの書」はズィヤール朝の君主アミール・ウンスルル・マアーリー・カイ・カーウース・ビン・イスカンダル・ビン・カーブース・ビン・ワシュムギールが息子のギーラーン・シャーに書いた本で、人生との向き合い方や職業全般についてたいへん示唆に富んだ傑作です。この頃ズィヤール朝は実質的にガズナ朝の支配下にあり、ギーラーン・シャー以降の動向は伝わっていませんが、この書によって名声を不動のものとしています。 12.13世紀頃、イスラーム世界と中国の海洋交易はお互いの中間地点、すなわちインド西岸やスリランカの港でお互いの荷物を載せ替え、本国に戻る形をとっていました。これより以前、10世紀頃にはイスラームの船が中国の広州まで出向く形を取っていましたので、彼らから見れば航海の危険はかなり小さくなったと言えます。なお、実際のイスラーム世界では様々な事情により、よほど特別の事情が無い限り女性が航海出る、または船に乗せることはなかったと考えられていますので、女性の船長はまずいなかったでしょう。 |
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当時の船乗りはおそらく世界有数の情報通だったと思われます。命を落とす危険性もそれなりにあったはずですが、それに見合う富と名誉、そして冒険心を満たしてくれたことでしょう。アラブ世界の船、ダウ船は50.60年ほど前までは現役だったようで、豊富な写真資料があります。(TINA) とらわれてすっかりボロボロになった上に死刑宣告・・・という場面ですが、そこで折れずにむしろ輝く! というイメージで描きました。(宣教師ゴンドルフ) |
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