高潔なラフィーク 採集地:イラク
「アラブの民話 "誇り高き隣人"」より
 砂漠地方に住むベドウィンたちは規律違反が即命取りになることが多く、必然的に厳格なルールを生み出しました。彼らの行動規範は良い意味でも悪い意味でもイスラームにも多大な影響を与えたとされています。私たちの倫理観との乖離はひとまず置いておくとして、アラブ人たちが理想とするフトゥーワ(翻訳するなら騎士道精神とか武士道精神、あるいは任侠や仁義に近いようです)の好例と言えます。Fairytale的要素はありませんが、父親の探りの入れ方はなかなかのものだと思います。

 名誉はフトゥーワでもよく語られる徳目で、回復のために死を用いることは(実際はともかく)美徳どころか一般的とさえ言えます。もう少し日本的な言い方をすれば、面子を重んじる社会と考えると解りやすいかもしれません。

 別の資料に少し違った名誉に対するショートストーリーがありますので引用しておきます。これはなかなか出てこない発想で、印象深いストーリーです。

 「名誉の値段」

 むかし、一人のベドウィンが市場で商売をしていた。彼には一人の息子があったが、その日は大勢の人でごった返していたので、彼は息子を見失ってしまった。息子は人さらいにさらわれてしまったのだ。

 翌日、父親は人を雇い、息子を返せば1000ディナールの謝礼を支払うという触れを出させた。この旨は人さらいの耳にも届いたが、男はもっと稼げるだろうと考えて黙っていた。

 その次の日、また触れ役が街を駆け巡ったが、不思議なことに、謝礼は1000でも2000でもなく500ディナールだということだった。そして、三日目になると、驚いたことに触れ役の口から出た金額はたったの100ディナールだけだった。

 男は慌てて子供を返し、なぜ金額が日を追うごとに少なくなっていったのかを尋ねた。
「最初の日、息子は腹を立てておまえの食い物になど手を出さなかっただろう? そうではなかったか?」
「まったく、そのとおりでした」
「だが、二日目には少し手をつけて、今日などは息子のほうから食べ物をせがんだだろう?」
 実際にその通りだったので、人さらいは頷いた。

「そうであろう」
 父親は水パイプを一息吸うと、こう続けた。
「わしの思ったとおりだ。最初の日、息子は磨き上げた黄金のように染みひとつついておらんかった。誇り高い男らしく、自分をさらった男と食を共にするなどという無様な真似はしなかった。その息子を取り戻すためなら、1000ディナールなど安いものだ。ところが、二日目には空腹に負けて誇りを失いかけた。だから、わしは500ディナールが適当だと思った。だが、卑しく食べ物を乞うまでに身を落としたなら、それを取り戻すには100ディナールでも釣りがくるだろう」

 もうひとつ、これも中東〜南アジアの部族社会を語る際によく出てくるのが「庇護」という概念で「言葉から文化を読む」にわかりやすい事例が掲載されています。それによれば「庇護を求めてきたよそ者」はアラビア語ではダヒールと言う言葉が当てられる。ホストはダヒールをいかなる犠牲を払ってでも守らなければならないが、ダヒールもホストに従う必要があると説明されています。
 非常に厳格な決まりに見えますが、滞在記などを読む限り、ダヒールはホストに敬意を払うのは当然ですが、度を超えてへりくだる必要はないようです。この隣人もそうして長との信頼関係を築き、ここぞというところでケジメをつけて見せた点が高く評価されていると言えるでしょう。

 生活の方に目を向けてみると、砂漠では背の低いテントが一般的で女性の仕事は料理や水くみでした。特に水くみは若い女性の仕事とされ、人目からも離れることから男性が目をつけたり口説いたりする絶好の機会だったようです。 

 また、本編中に「蟻塚があった」という記述があります。イラクの砂漠といえば西部に広がるアラビア砂漠を思い浮かべますが、文献をななめ読みした限りアラビア砂漠に蟻塚を形成する蟻はいないようで、昔はいたのか、あるいは別地方の話なのかは詳しい方を待ちたいと思います。 

砂漠というと暑いイメージがあります。日差しは強烈なものの湿度が極端に低いため、長袖の方が快適に過ごせるという知識はあっても、やっぱり「そんな格好で暑くない?」と思ってしまいますね。ストーリーではこの子の意思は結婚とは無関係ですが、自由恋愛というものがあまりない(まったくないわけではないようです)社会、というのは、是非はともかく頭の隅に入れておく必要があると思います。(TINA)

頂いた資料にあった遠くまで続く砂漠が印象的でした。乾いた世界が広がる中で、この物語のように生きた人たちがいる雰囲気を感じていただければと思っています。(宣教師ゴンドルフ)