| 愛のしるし | 採集地:イラン(ペルシア) |
| 「"セレンディップの三人の王子たち"」より | |
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セレンディピティ(Serendipity)の言葉を生み出した本で、底本は1557年にヴェネツィアで発行されたイタリア語版「セレンディポ王の愛しい息子たち三人の若者の遍歴」とされます。しかし、これはペルシア語版(中世なのでパフラヴィー語?)を翻訳したものだったようで、オリジナルはさらに古い時代に遡れると言えます。Ringlet版の参考資料とした本は1722年のチェットウッド版(英語)で、これは1557年版の第二部に手を入れ、さらに第三部を追加したものとされています。 原版は二部構成で、ラクダの話でセレンディピティを堪能できる第一部と枠物語構成を取る第二部から構成されています。 第一部は賢い三人の王子たちが名探偵的な活躍を見せる話で、世界的に知られているのはこの第一部の冒頭部分になります。 原作者は不明ですが、第一部から第二部へのつなぎ方は自然で、七つの宮殿と七人の王妃に物語をさせる第二部の構成は明らかにニザーミーの「七王妃物語」(1197年著)を下敷きにしています。主要登場人物のバハラーム五世も同じで、中世の資料では「彼の娘のために千と一夜の書が編纂された」と言われているほどFairytakeと縁が深い王様でもあります。 原版には存在しない第三部は、1722年のチェットウッド版までに、第一部の王子たちの身の上話がなにも片付いていないと感じた何者かが完結編として追加したことになります。この第三部は第一部の機智に富む話とも第二部の枠物語とも違い、年代記のようで、ウィットやユーモアは特に見えません。しかし、羊飼いセリーナを見出して王妃とするくだりはサーサーン朝時代を舞台とした「ホスローとシーリーン」によく似ていて、ペルシア文学の知識を持った人物が加筆したと想像されます。こうしてみると、この本の成立の過程は千と一夜の書に似ていると言えるでしょう。 ペルシア(現在のイラン)はイスラーム圏にあたますが、本編ではイスラーム色は極めて薄く、驚異の代名詞であった「インド」を押し出した内容になっています。例えばイスラーム圏の話ではよく見られるクルアーンの一説や預言者、聖人、アッラーを称える挿入は見られません。しかし、これは1557年のイタリア語版翻訳にあたってペルシア語版にあったものを削ったのかもしれませんし、英訳や邦訳に際して同じことが起きたのかもしれないので断言はできません。(この訳者も、翻訳にあたって残虐描写を別の形式にしたと言っています。このように翻訳者や編集者が手を入れることはよくあります) Ringlet版では第二部の第二話と第三話をひとつにまとめ、さらに展開を無理なくするように手を入れました。原版の第二話は「猿回しと王妃」という話で、結婚後に弓の腕前を競うところまではほぼ原版通りですが、オリジナルストーリーでは王様はとうとう王妃を殺害するように指示したものの犬と猿回しに助けられ、さらに王妃を追放したことを気に病んで倒れた王様を快復させることになっています。 第三話は「金のライオン像の疑惑」という話で、アルキメデスの原理を元ネタにした前半部分を借用しました。原版では、この後に罰を受けた彫刻家が塔に幽閉された後、自身の身を滅ぼすことになった妻(原版では妻がアルキメデスの原理を夫から聞き出してチクってしまうという筋立てになっています)を、計略を持って交代させます。塔から女性の声がするのを不思議に思った王様が事の次第を女性から聞き及び、彫刻家の叡智を褒めて無罪放免とする、という結びになっています。 なお、この本には下ネタも収録されていて、第一部の王子たちの話のひとつ「インド女王の謎掛け」では女王と宰相、王子ひとりの三人だけが集まった際に五つの卵を平等に分けるように謎を出されます。王子は女王に三つ、自分と宰相にひとつ置いて平等だと答えますが、その理由を問われて王子は「私と宰相はすでにふたつ持っているので」と答えます。原版では「女王はいささか恥じらったものの、この答えに満足した」とあり、セクハラでの追求は免れたようです。 |
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本人がなんとも思っていないのに、勝手に引け目を感じてしまうということは現実にもよくあると思います。終始穏やかな性格に見えますが、結婚初手でコインを作って欲しい、と言ったのはどんな意図があったのか気になりますね…。(TINA) 女の子がかっこいい姿は良いですね。元の穏やかな性格のキャラクターからギャップというものまた良いです! はからずも自分の好みが詰まった絵になりました。(宣教師ゴンドルフ) |
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