天空海闊なサレム 採集地:千と一夜の書、千一日物語
「千と一夜の書 "ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語"」より
「千と一夜の書 "底なしの宝庫"」より
 リア充爆発しろシリーズ、千と一夜の書シリーズ。

「ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語」と「底なしの宝庫」という、どちらもマルドリュス版(※ガラン版やバートン版には未収録)千と一夜の書に収録されているふたつの物語をつなぎ合わせたものです。どちらの物語も半分を削って残りを足しましたものですが、実際にはかなり複雑な事情があります。

 ひとつずつ解説していきましょう。
 カリフが大金持ちの若者を試しに行く前半部分は「底なしの宝庫」前半部分をRinglet版に合わせて大幅にカットしたもので、原版では思い上がったカリフの頭を冷やすため、宰相がカリフの上を行く国一番の気前の良さを持った若者(原版ではアブールカセム/Aboulcasem)を紹介するという筋書きになっています。カットした後半部分では若者がいかにして使い切れない財宝を手にするに至ったのか、また、その過程で離れ離れになってしまった想い人との再会が描かれています。

 若者が大金持ちになった理由を語る後半部分を、Ringlet版では「ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語」の後半部分から持ってきました。この物語は独立したふたつの物語をつなぎ合わせたもので、タイトルから想像されるだろうヌレンナハール姫はほとんど物語に絡みません。カットした前半部分はこのヌレンナハール姫をめぐる三王子の勝負で、いわゆる「誰が一番活躍したか問答」になっています。原版の後半では負けた三男が魔女の姫と巡り合って一番幸せになるのですが、Ringlet版ではそのくだりの一部を若者が体験したことにしました。

 なお、原版にあるヌレンナハールは「陽の光」、版によっては名前が付いてくるジンの王女はペリバヌーで、ペリは(主として女性の)Fairy、バヌーはLadyに相当する言葉です。

 この物語の本題は前半部分「底なしの宝庫」は、マルドリュス版の千と一夜の書に収録されていると書きましたが、元々は「千一日物語(Les Mille et un Jours)」という別の本に載っていた物語でした。

 ・千一日物語について

 千一日物語とその著者については日本語での資料があまりないのですが、幸い香川大学の最上英明氏による優れたテキストがありますので、それをベースにまとめると下記のようになります。

 千一夜物語と非常によく似たタイトルの「千一日物語(Les Mille et un Jours)」はフランス人のフランソワ・ペティ・ド・ラ・クロワ(François Pétis de La Croix,1653-1713)が書き上げた枠物語です。彼はヨーロッパで最初に千と一夜の書を訳出したアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland,1646-1715)の同僚学者で、同じく東洋の文献蒐集や翻訳などを手掛けていました。

 彼の話によればモクレ(ムフリス)という修道士からインドの愉快な話を聞き、モクレの手稿本をもとに千一日物語を翻訳したということですが、現在の研究では「苦しみのあとの喜び(Faraj baʿd al-shidda
)」
というオスマン・トルコ語の本が底本とされています。また、この本はペルシア語版では「物語集(Jāmiʿ al-ḥikāyāt
)」
と呼ばれ、大元をたどると12世紀にペルシア語で書かれた「親密な伴侶となる本(Mūnis-nāma)」という本にたどり着くようです。この本は31の物語を収め、主に王宮にいる女性向けに編纂されたとありますが、原版は未読了なので詳細はわかりません。

 いずれにせよ、1704年から1706年にかけてガランが千一夜物語全7巻を刊行したことに触発され、ペティは千一日物語の編纂に着手したと思われます。しかし1709年、彼が翻訳した話の一部を出版社が千一夜物語の第8巻に無断で収録、出版してしまいます。これに出版社の背信行為で、ガラン本人は預かり知らないことだったと第9巻で釈明しています。ガラン版千一夜物語に組み込まれた千一日物語の三つのストーリーは、ペティの千一日物語には再録されませんでした。

 千一日物語と銘打ったからには、ペティは千一日ぶんのストーリーを収集する算段があったのだと思われます。しかし、彼は様々な事情から物語の途中を省略して最終話を書き上げ(※1)、体裁は保ったものの実際には未完結の千一日物語を1710年から12年にかけて刊行した後、1713年に亡くなりました。

 この千一日物語、日本での知名度はほとんどありません。唯一、ストーリーのひとつ「カラフ王子とシナの王女の物語」を元にした戯曲「トゥーランドット」だけがよく知られています。ガラン版を翻訳した西尾氏もそのあとがきで「千一日物語はトゥーランドットをのぞいて忘れられた物語と言って良い」と書いています。ところが、欧米ではそれなりに読まれたようで、英訳版や編訳版(※2)がちょくちょく見つかります。また、1899年から1904年にかけて翻案されたマルドリュス版千一夜物語には千一日物語からの借用と認められる物語が複数認められます。(マルドリュスはアラビア語のブーラーク版を底本にしたようですが、これに収録されていたのかは不明)

 総合的に言えば、千一日物語はアラビア圏の物語(正確に言えばトルコ語、もしくはペルシア語ですが)として千一夜物語の一部に統合されてしまったような印象を受けますが、中東方面の物語集として、もう少し知られてもいいと思います。

(※1)191日目から959日目までが省略されているので、完成したのは全体の1/4前後ということになる。
(※2)ジュリア・パードーが1857年に編訳した「千一日物語」は本家「千一日物語」の他にも様々な中東方面の物語を集めたもの。英語訳にはJustin Huntly McCarthyの手によって1892年に出版されたものなどがある。

 最後にまた話が脱線しますが、クルアーンにジンの存在が書かれているため、中世イスラームではジンとの結婚や生活に関する法律が真面目に議論されました。いくつかピックアップしてみると、ジンと人間の配偶者は別扱い(重婚可)、ジンと性交した後には禊を行う必要はないなど、まあ、そうなるよねという感じのようです。(イスラーム的観点から見ると、全く違う理由からなのかも知れませんが)
こんな人生を歩みたかった……、という主人公に突然せまってくるヒロインです。(イスラームは宿命論の宗教なので、こうなるのはアッラーフの定めとしか言えないのですが)挿絵のシーンは食事をたべさせてもらってるところなのですが、世界人口の約4割は手食文化ということで、きっと恋人同士は食べさせあってるんだろうなあ、うっかり指を舐めちゃったりするんだろうなあと思いながら発注しました。(TINA)

きらびやかで夢のような場面の描写、人外なキャラクターと幸せそうな場面がふんだんにある物語は良いなと思いながら描いていました。(宣教師ゴンドルフ)