レッテーリオ騎士道王 採集地:イタリア
「デカメロン "ピエトロ王の話"」より
  原版のデカメロン(Decameron/十日物語)はイタリアのジョヴァンニ・ボッカッチョ(Giovanni Boccaccioが1350年頃に書いたとされる物語集です。ひとところに集まった十人の男女が十日にわたってひとつずつ話をしていくというもので、全100話が収められています。枠物語として非常によく出来ている上に当時代最高レベルの資料のひとつであり、純粋に文学的側面から見ても評価も高い作品ですが、内容がお堅いせいか同じ枠物語の形を取る千一夜物語と比べると知名度は今ひとつです。これは内容が魔法や妖精といったファンタジーの話ではなく、不貞や笑話、奇跡物語など現実的な話で構成されているのが大きいように思われます。多くの人にとって、千一夜物語のような面白さを感じることは出来ないでしょう。

 本編は10日目の"ピエトロ王の話"から引いてきましたが、このピエトロ王は実在の人物で、アラゴン王として即位し、後にシチリア王をも奪取したペドロV世(1239-1285)を指します。一方で、注釈によれば、王と娘の仲を取り持った音楽家(原版ではミヌッチョという名が与えられている)はボッカッチョの創作である可能性が高いとされているようです。

 このデカメロンは非常に難解な修辞技法を利用して書かれているらしく、翻訳者の方も相当苦労しているように思います。何人かの方が邦訳されていますが、TINAが一番最初に読んだちくま文庫版(柏熊達生訳/1949?)と、後に読んだ河出書房新社版(平川祐弘訳/2012)ではかなり相違があります。柏熊版では不可解なシーンが平川版では自然な流れになっているかと思えばその逆もあり、特に目的語や指示語が難しいのではないかと想像されます。

一例として、ヒロインが王様と王妃様に感謝を述べるシーンを挙げておきます。

(ちくま文庫版 柏熊 達生 (訳) 1949?)

「陛下、わたくしは、もし、自分が陛下に想いを寄せたなどということが世間に知れましたら、たいていの人々が、わたくしを身の程をわきまえぬ、馬鹿な女だとうわさするだろうと存じます。けれども、人の心をただひとりご照覧あそばされる神も御存知のように、わたくしは、最初陛下に心を惹かれました時に、貴方様は王様でいらっしゃって、自分は薬屋ベルナルドの娘であり、自分としては心の情火をそのように高いところに向けてはいけないことだと存じておりました。けれども、わたくしよりも陛下の方がずっとよく御存知のように、人間はだれもそれ相応の選択によって恋をいたすものではなく、欲望と好みによって、恋をいたすものでございます。そうした法則に対してわたくしの力は、何度となく抵抗いたしましたが、もうこれ以上耐えられなくなって、わたくしは陛下を愛しましたし、今も愛しておりますし、いつまでも愛し続けるでございましょう。実のところわたくしは、陛下への愛のとりこになった気持ちでおりますので、陛下のお望みのなるとおりに、自分も望む覚悟をいたしました。でございますから、わたくしは、陛下がわたくしにお世話下さる方で、わたくしの名誉や身分にふさわしい方ならば、その方を喜んで夫に迎え、大切にいたしますが、そういたすだけでなく、もし陛下がわたくしに火の中にはいるようにおっしゃれば、それが陛下のお喜びになることでしたら、わたくしはよろこんでそういたしましょう。王様でいらっしゃる貴方様を騎士に持つことは、どんなに有難いことか、陛下も御存知のことでございますから、そのことについてはお答え申しません。わたくしの愛のしるしにただひとつお求めになるキスも、王妃様のお許しがございませんうちは、さしあげるわけにはまいりません。それでも、陛下のお情けや、ここにおいで遊ばす王妃様のお情けのような、そうした深いお情けについては、わたくしには到底ご返礼できませんから、神様がわたくしに代わって、貴方様方に、感謝とお礼をお返し下さいますようにと、祈るばかりでございます」

(河出書房新社版 平川祐弘 (訳) 2012)

「陛下、わたくしが陛下に恋しましたことがもし世間にしれましたなら、たいがいの人はわたしは気が狂った、精神が錯乱し、自分の地位も陛下の御身分も見境がつかなくなったと絶対信ずるに相違ないと確信いたします。しかし神様は人間の心をお見通しで、すべてよくご存知でございます。わたくしは初めて陛下が好きになりました時から、陛下は国王陛下でわたくしは薬屋ベルナルドのしがない娘ということはよくわかっておりました。雲居の上の陛下へわたくしごとき者が目をあげて情熱の視線を注ぐなどということは畏れ多い筋違いなことはよくわかっておりました。しかし陛下がわたくしごとき者よりはるかによく御承知の通り、人間は考え抜いた挙句恋に落ちるものではなく、身内の欲望や一目惚れで好きになるものでございます。そのような法に逆らおうとして何度も力を振り絞りましたが、無駄でございました。わたくしは陛下が好きでございます。以前も今もこれからもずっと好きでございます。わたくしは真実、あなた様の愛にとらわれた時からあなた様のご意思をわがものとするよう決心いたしました。それでございますからあなた様がお選びくださいます方を喜んで夫として迎え大切にいたします。その方はわたくしの名誉であり地位でございます。わたくしは陛下の仰せとあれば、たとえ火の中であろうとも参りましょう。陛下がお望みとあれば、喜んでそうするつもりでございます。国王陛下を騎士としてお迎えすることがふさわしいか否かは陛下がご存知でいらっしゃいます。この点につきましてはですからお答えはいたしませぬ。またあなたがお望みのわたくしの愛のただ一度の接吻も王妃様のお許しなしにはお許しすることはできませぬ。さりながら陛下とここにおられます王妃様とがこのわたくしに対してお示しくださいましたような限りない御仁慈にどうしたらお応えできましょうか、なにとぞ神のお助けによりお礼とお返しができますように」

 Ringlet版ではできるだけ平易な文章に書き換えた上で音楽家の出番をカットし、王と娘のやりとりを追加しています。また、終盤のやりとりについても(翻訳の問題かもしれませんが)不明確な部分があるので、独自のストーリー展開にしました。

 昔話では恋の病を患った場合、男女ともにその解決策を求めて旅に出ることが多く、こうして病に伏せるのは珍しい例と言えます。騎士道精神の側面から見てレアといえる事例で、ざっくりといえば「自分より身分の高い婦人の精神的な愛を勝ち取る」ことを至上とする騎士道物語とは異なります。しかし、上記のような王道ストーリーは主人公が地位も名誉もない若輩騎士であり、今回のような、ある意味で騎士の頂点に立つ王様は「自分より身分の高い婦人」が存在しないわけで、(かなり地位のある家の娘だったとはいえ)身分の低い女性の求愛に礼節を持って応えることでしか名誉を高めることができなかったとも考えられます。

 中世では裸で寝ることが多かったようですが、寝間着としてはこの絵のようなワンピースタイプが用いられていました。(おそらく防寒対策として)ナイトキャップ的なものもあったようですが、病に伏せているという設定なので省いてあります。(TINA)

 立ち絵のラフ段階からエルセちゃんに見えないと何度も描き直し苦労させられました。顔、手の大きさ、腕の太さなど変えていったら特徴的な髪型が似てないからだと分かり描き直し完成しました。あとこの挿し絵の花瓶が置かれてる台はラフではタンスでしがこの時代にはタンスは無いのでただの台に。上に置かれた花瓶の花もこの時代に存在していた種類の百合ピレネーリリーに変更しているのです。(市九紫)