「ちょっと休憩にしましょ、ルナ」

「はい、璃瀬さん」

 昇降口の階段に腰を下ろし、スポーツドリンクを口にする璃瀬とルフナ。
 ふたりの顔には汗がにじみ、はぁはぁと荒い息づかいが響く。
 中秋の爽やかな風がそよぐ日曜日。
 ふたりは自主練のために母校に来ていた。

「縄跳び三十分なんてたいしたことないと思ってたのに、意外と足にくるわね」

 ジャージの上から太腿を揉み、額の汗をタオルで拭う。
 二十分までは余裕だったのに、最後の三分は携帯のカウントダウンをにらみながら必死に飛んでいた気がする。

「ラスト五分が辛いですよねえ」

 相槌を打つルフナの顔には、まだ余裕があるように見える。

「そう言うわりには、まだまだ余裕そうな顔をしてるじゃない?」

「えっ、そ、そんなことはないですよ~……」

 両手を振り、ルフナは必死に否定する。

「そ、う、か、し、ら~? ルナは長距離専門だから、これくらい楽勝なんじゃないの?」

 冷たいペットボトルをルフナの頬に押し付けながら、璃瀬が意地悪く言う。

「ううぅ……冷たいです、璃瀬さん……。た、たしかに私は長距離ですけど、五千メートルなんて二十分も走らないですよぉ」

「え、そうなの?」

「はい、はい。十八分ぐらいですから……」

 何度もうなずき、潤んだ瞳でルフナがやめるように懇願する。

「思ったより短いのね」

 ペットボトルを離すと、璃瀬は自分のタオルでルフナの頬をつたう水滴を拭き取る。

「あ、ありがとうございます。一万メートルなら三十分超えますけど……」

「一万メートルって……十キロよね」

 高校女子バスケットボールの一試合走行距離は四キロ弱と言われている。
 もちろん試合は走るだけではないし、短い距離の全力疾走を繰り返すバスケと長距離走は比べられるものではない。

「十キロも走れる自信は、ちょっとないかな」

「璃瀬さんなら出来ると思いますよ」

「ううん。最後の二、三キロでめげちゃいそう」

 ドリンクを置くと、璃瀬はすくっと立ち上がって言った。

「それにしても、縄跳びって小学生以来かも」

「陸上ではわりとメジャーな練習方法なんですよ。兄さんもやってますし」

「へぇ、そうなのね」

 縄跳びの思わぬ効能に、璃瀬が感心する。

「ねえ、ルナ。小学生の時、一瞬流行らなかった? 縄跳び」

「えっと、そうですね。冬に流行って……、体操着がショートパンツだったから、太腿に当たるとすっごく痛かったです」

「あはは、わかるわかる。耳とかじんじんするわよね」

「私は後ろ跳びが苦手で……。いまでも、だんだん後ろに下がっていっちゃうんですよ」

「あたしは、初めて二重跳びが出来た時はすっごく嬉しかった記憶があるわ」

 百均で購入した縄跳びの持ち手を握り、口元を緩める璃瀬。

「いまでも出来るかしら? 出来そうな気がするけど……」

 五、六回、前跳びでリズムを作ってから、璃瀬が手首の回しを一段上げる。
 ヒュゥと風を切る音がして、縄の残像が見えた。

「なな、はち、きゅう……、じゅうっ!」

 ジャンプのタイミングがずれたせいで、璃瀬の足が縄を踏む。

「十回が限界かあ……。昔は五十回は出来たと思ったのに」

「でもでも、十回でもすごいですよ、璃瀬さん」

「ルナはどう?」

「私、二重跳びも苦手でしたけど……、やってみますね」

 両足で縄を踏み、ぴんと伸ばして長さを確かめる。

「短い方が回しやすいのよね。あんまり短いと、髪に引っかかっちゃうけど」

「行きますよ」

 リボンを結び直すと、たんたんと軽いリズムで前跳びを始める。
 十回目に差し掛かろうかという時、意を決したルフナが大きくジャンプした。
 縄は無事に二度通過したものの、着地でしゃがみこんでしまう。

「あぅ……」

 縄を回す手も止まり、ルフナはそのまま気まずそうな顔で璃瀬を見上げた。

「一回は跳べてたわよ」

「そ、そうですか~。よかったです」

「足を曲げないで跳べば、ちゃんと出来ると思うわ」

「あ、足を曲げないように、ですか?」

「あんまり高く跳ぼうと思わないでいいのよ。真上に、ぴょん、っていう感じでね」

「真上にぴょん、真上にぴょん……」

 目を閉じ、イメージを身体で再現しようとするルフナ。

「一本の棒になったような感じで、とにかく足を曲げちゃダメ」

 もう一度、今度は単体の二重跳びを披露する璃瀬。

「私とは縄の音が違う気がするんですけど……」

「身体がブレなければ、そんなに変わらないわよ」

「もう一回、チャレンジしてみますね」

「深呼吸して、リラックスリラックス」

 璃瀬の言葉に押され、ルフナは胸に手を当てる。
 今度はゆったりした前跳びから、少しずつスピードを上げていく。

「そのまま、ほんのちょっと早く回せばいいのよ」

 視界の隅に映る先輩のアドバイスを受けて、ルフナが回転を上げると同時に高く跳ぶ。
 風を裂く小気味良い音とともに、足元を二度、縄が駆け抜けていく。

「そうそう、上手じゃない」

「え、ちゃんと出来てますか……?」

 ヒュルヒュルと音をたてて回る縄の中のルフナは、不思議そうな顔を見せる。
 三十数回目に息の上がったところで、ようやく縄が止まった。

「はぁ、ふぅ……。ど、どうでしたか璃瀬さん」

「どうでしたかって、自覚ないの?」

「え、え……? 初めの二、三回は出来てると思いましたけど、あとは回すのと跳ぶのに集中してて……」

「あー、もう。ルナってば縄跳びの素質あるんじゃない? あたしの教え方が上手かったのかもしれないけどっ!」

 璃瀬はルフナを抱きしめると、両頬をむにむにと撫でた。

「ふぉ、ふぉんなこほぉないと思いますけどぉ……」

 眉をハの字に曲げながらも、ルフナはやっと状況を理解して微笑む。

「元々の持久力はルナが上とはいえ、あたしも負けてられないわ」

 そう言って璃瀬も二度目に挑んだものの、結果は十五回止まりだった。

「私たちの時は、大縄跳びも流行ってましたよ」

 二度目のドリンクタイム。
 ふと思い出したように、ルフナが水を向けた。

「あったあった。あたしたちは一回ずつ跳んで抜けて、引っかかるまでの回数を競ってたわ」

「私たちは十人で何回跳べるかでしたよ」

「そういうのもあった気がするけど、忘れちゃった」

 空になったボトルをカバンにしまい込むと、代わりに携帯を取り出す。
 時計の表示を見ると、四時を回ったところだった。

「そう言えば、ふたりで跳ぶ遊びもなかった? 『お嬢さん、おはいんなさい』って歌だったかしら」

「ありました。『ありがとう。いち、に、さん……』って数えるんですよね」

「そうそう。あれ、結構難しかったような気がするわ」

 その時、話をする璃瀬の目が怪しく輝くのを、ルフナは見逃さなかった。

「ねえ、ルナ?」

「え、っと……。あの、さすがに学校では恥ずかしい……です」

「だいじょうぶだいじょうぶ。部活の奴らもまだ終わらないでしょうし、ね」

 璃瀬がルフナの腕を掴んで立たせる。

「ほらほら。おはいりなさい、ルナおじょうさん」

「あうぅ……」

 もじもじと胸の前に手を合わせいてたルフナは、覚悟を決めるとタイミングよく縄の中に飛び込んだ。

「ありがとう。いち、に、さん、し……」

「わ、わわっ。り、璃瀬さんっ」

 ジャンプのたびに服が擦れそうな距離。
 目と鼻の先にある璃瀬の顔を直視するのが気恥ずかしくて、ルフナはぎゅっと拳を握る。

「じゅういち、じゅうにっ……!?」

 そんなルフナの反応を楽しんでいた璃瀬だったが、すっとんきょうな声を上げると縄を回す手がぴたりと止まる。

「璃瀬さん……?」

 ルフナが璃瀬の視線を追って振り返ると、ジャージ姿の男子一団が通り過ぎて行く。

「あ、あああの……。り、璃瀬さんっ」

「解ってる、解ってますって。あたしも、さすがにちょっと恥ずかしいって」

 縄跳びを投げ捨て、あわてて距離を取るふたり。
 教室に人影が見えないか、しきりに確認する。

「きょ、今日はもう十分練習したと思うし」

「そ、そうですね」

 男子学生の姿が見えなくなると、ふたりはそそくさと帰り支度を始めた。