「それでは、ごゆっくりお身体をお休めくださいませ」

「ん、おやすみなさい」

 恭しく頭を下げると、侍女は出来る限り音を抑えてドアを閉めた。

 クリーヴランド家本邸。
 その一室である、かれんの部屋。
 十二畳ほどの部屋には歴史的にも価値あるアンティークの家具が並び、年に数回しか滞在することのない主のために、毎日念入りに清掃されている。
 天蓋付きの大ベッドに身体を沈ませて、かれんはぼんやりと天井を眺めていた。
 時々、かれんはクリーヴランド家の仕事をこなす。
 大抵は父や母の代理だが、今回は当主である祖父からの招待だった。

「もう一日、居てもいいかな」

 梳いてもらった髪を指に巻き付けながら、そんな事を考える。
 収穫祭を終えて冬支度に向かう晩秋のリンテトゥールは一年でもっとも趣深い季節で、人を惹きつけて放さない魅力がある。

 それでなくとも、勝手知ったる生まれ故郷だ。
 ジュオーの昔ながらのバゲットが売りのパン屋。
 ブリオの変わったフロマージュが並ぶことで有名なチーズ屋。
 ラヴィレーニの独特なセンスが光るカフェー。
 馴染みのお店に顔を出せば、それだけで時間が飛ぶように過ぎていく。

 せっかく、来たのだから。
 かれんの中で、その気持ちが強くなる。

「ん」

 もぞもぞと手を伸ばし、ベルを手に取る。
 取っ手を持って揺らすと、ちりんと甲高い金属音が響いた。

『お呼びでしょうか、お嬢様』

 時を置かず、ノック音に続いて凛とした声がドアの向こう側から聞こえてくる。

「どうぞ」

『失礼いたします。どうかなされましたか?』

 ドアが開き、先ほどと同じ長身の侍女が音もなく部屋に入ってくる。

「ん、帰国を一日延ばす手続きと……それから、お茶を三人分」

「かしこまりました。今宵は一段と冷えますので、お風邪など召されぬよう上着もお持ちいたします」

 口元を緩めると、侍女は深々と一礼して退室する。

 再びひとりきりになった部屋で、身体を起こして照明のスイッチを入れる。
 たちまち大シャンデリアに光が灯るが、建築当時のそれとは違う電気の灯だ。

 ベッドの向かいには暖炉があり、今でも火を入れることが出来る。
 しかし、現実に快適な室温を保っているのは天井に埋め込まれたエアーコンディショナーだ。
 伝統と格式を誇るクリーヴランド家にも、利便性という時代の流れは確かに押し寄せていた。

『失礼いたします』

 程なくして、再びドアがノックされる。
 かれんが応じると、ティーセットをトレイに載せた侍女とナイトローブを持った侍女のふたりが姿を見せた。

「お嬢様、こちらを」

「ん、ありがと」

 かれんが腕を伸ばすと、小柄な侍女が袖を通していく。
 その間に、もうひとりはテーブルにティーセットを並べてポットを湯で満たすと、小さな砂時計を置いた。

「ご帰国につきましては、明朝一番に対処いたします」

「よろしくおねがいします」

 かれんがテーブルに近寄ると、小柄な方の侍女が椅子を引く。

「エレンさんとシーリーンさんも」

 普通でいいよ。
 それは魔法の言葉だった。
 着席したかれんが促すと、ふたりは頭を下げてからそれぞれに腰を下ろす。

「それにしても、珍しいですね」

 貴女が夜更かしだなんて。
 先程までとは明らかに違う、親しみを感じさせる口調。

「目が冴えて眠くならない日なんてしょっちゅうありますよ、エレン姉」

「ん、たまに、ね」

「シーリーン、貴方はもっと早く寝ないとダメよ。昨日も、朝から欠伸ばかりしていたでしょう?」

「バレてました? すみませ~ん」

 ちろりと舌を出すシーリーン。

「あ、では罰としてあたしが紅茶を入れさせていただきます」

 砂時計が落ちきったのを見て、シーリーンが元気に手を挙げた。

「粗相のないように、しっかりと見ていますからね」

 ふたりが見守る中、シーリーンは優雅な手付きで紅茶を注ぎ、ポットをわきに寄せ、ソーサーに乗せて主人へ差し出した。

「どうぞ、カレン様」

「いただきます」

 左手でソーサーを添え、かれんがゆっくりと紅茶を鼻に近づける。
 カップはお気に入りのオールド・ヘレンド、茶葉は就寝前にふさわしい軽いフレーバーの一番摘みだ。

「どうですか? 美味しいですか?」

「ん、とっても」

 にこりと微笑む主人を見て、褐色の侍女はぐっと拳を握る。

「減点はひとつだけだけど、及第点ね」

「え、完璧満点じゃないんですか?」

「自分から感想を求めに行くものではありません」

「え~……。そこはぁ、ほら、お嬢様公認だから大目に見てくれても……」

 シーリーンはぶうと口を尖らせる。

「それから、私のぶんも待っているのだけれど」

「はいはい、エレン姉。ただいま」

「はい、は一度と教えたでしょう?」

「はーいっ」

 たちまち三人ぶんのお茶が用意され、主従を超えた夜の女子トークが始まる。

 クリーヴランド家でのこと。
 リンテトゥールでのこと。
 それから、小城でのこと。
 女性三人の集まりで、よもやま話に花が咲かないわけがなかった。

「はぁ~、お嬢様も御苦労なさってるんですねぇ……」

「そんなこと、ないと思うけどな」

「でもでも、あたしやエレン姉がいつもお嬢様を案じていることは本当のことで……、そのシャポーだって、ふたりで何日も悩みぬいて……」

「シーリーン」

 ムチのように鋭い言葉が若い侍女の口をつぐませた。

「あ……いまの話は、その、聞かなかったことに……。ダメですかね?」

「ん、そなんだ」

 カップを置くと、かれんはエレンが着付けたヒョウ柄のナイトキャップに手をやった。

「申し訳ありません、お嬢様。出過ぎた真似を」

「ううん。ふたりとも、ありがと」

 艶のあるシルクに何度か手を滑らせ、かれんは嬉しそうに微笑む。

「黙っているつもりでしたが、お嬢様。私たちからのバースデー・プレゼントです。少々早いですが」

「お嬢様に喜んでいただければ、あたしもエレン姉も本望です」

 侍女ふたりが見つめる中、かれんは裾を整えて左右に首を振ってみせる。

「どう、かな」

「よくお似合いでございます」

「クリーヴランド家、いえ、リンテトゥール一番ですよっ」

 三人の女子会は、それから日付が変わるまで続いた。